毒親への返報

毒親や虐待をメインに書いています。

カメラの数

毒親・虐待ブログの筈なのに、私の場合〈発達障害〉を省いては書けません。但し、発達障害=虐待加害者では決してありません、その障害があるだけで決定付けられるものは何もありません。

Yahoo!ニュースで読んだあるルポライターの方の記事、奥様が発達障害で、それに関しての日々のなんやかんやを愛ある感じでわかり易く書いておられました。その中に[カメラの数]というふうな表現が出てきました。私は珍しく嬉しくて心震えたのでした。

あぁ〰〰〰〰〰それよそれ、そういうこと、素晴らしい〰〰〰〰、ただでさえ人に説明しづらい機微的なやつ、もう他の人に伝えるのは不可能だと思っていたところに絶妙で的確な表現!

ありがとうございます😍

私が母の事をおかしい・不思議だと思う感覚、他の人に理解して貰える訳がありません。
何故なら、父を交えて説明すると。

意識(カメラ)、視覚(向き)、聴容(スピーカー)、これらを父に対して母はたっぷり注いでいる!

私には、母から向けられるカメラの数が圧倒的に少ない!

ややこしいですがネグレクトの様に、母が私を見ていない、話を聞いていないのとは違うのです。
カメラの数が多ければ多い程、強く深く脳にインプットされます。少なければ、印象に残らず脳にインプットされません。

スポーツの試合の司令塔や、番組司会者などは大量の数のカメラを人や物や時間などに平均して向けられる才能があるのですね!

私もカメラをあまり持っていないと思われるので、決して母の悪口を言っているのではありません。

全てではありませんが、私は母に覚えて貰えません。

何かを訴えても、信じて貰えません。

どんどん自分が、透明に近付いていきます。

今も、証拠を提示しないと信じて貰えません。それが無いと何か訴えても「そんな筈ないんだけど…」と母は否定から入ります。なので証拠(写真など)をとっておくクセがつきました。
これが、いさかいを起こさない母との付き合い方です。覚えて貰えないのは、もう諦めました。

[カメラの数]という表現を教えて下さったルポライターの方、勝手に書いてすみません。でも私の頭の中で、「そういう事だよ、人によって向けられるカメラの数違うんだよ…」とわかっただけで嬉しかったです。
重ねがさね、ありがとうございました😃

しかし透明に近付いても、なかなか消えてくれないんだよな👻