この世には膨大な無念・疑念があって、
それだけの見逃しがあるという事。
バレなければ黙ったまま何も無い体で生きている人も膨大にいる事になる。
証拠が無かったり被害を受けた人が亡くなっていたら、他の人が物申す訳ですけれども、
警察が事件性無しとすれば、そこからの戦いは尋常ではない。
法医学者の仕事を番組で観るといろいろ考えさせられますが、
この国の遺体の全ての死因を調べる事は出来ないので、
虚しい思いを抱えた死が彷徨う。
何故そんなに痣があるの、
何故頭を打ったの、
何故高い所から落ちたの、
何故食べていないの、
何故窒息したの、
殺されたんじゃないの?
と聞いても、亡くなったら喋れないから。
どんなに悔しいだろうか。
覚えている過去の殺人事件でも、最初は事故と片付けられていたものもある。
ーーー川に落ちたのは、落とされたんだよーーー
見逃されていく真実。
周りの人が疑念を持たなければそのまま。
事故ではなく事件ではないかと思う人がいても、立証の高い壁。
今のところ、加害者が自白でもしない限り暴かれず見逃しが続くのが現実。
警察や検察や関係者が幾ら頑張っても証拠が無ければそれまで。
限界か。今のところは、ですよ。
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