此処だけは自分の場所だ。
と言える所が無い状態で生きてきた事に気付いた時。
あぁ、なる程。それは生きづらい訳だ。
早めに気付きたいものですが、わかりづらい分野ではある。
育ててくれる人がいて、住む家もあった。
毎日食事をして、学校にも通った。
当時毎日ではないがお風呂にも入れて、
子供部屋も程無くして別れて、姉と私、それぞれの部屋を持った。
これで、
居場所が無いなんて、
自分自身ですら気付くのが難しかった。
子供が得るべき全うな環境。
その中で、〈死にたい〉だけが先行していた。
今、別の人間の振りをして、子供の頃の自分を眺める。
家族という小さな括りの中で、心が損傷を受けていく様を見る。
心理的虐待。
このわかりづらい状況の中に置かれた子供達がどれ程いるのだろうと思うと、
心が打ちのめされる。
現実と空想の狭間、
何か、自分のものがあったのかな。
そもそも其処に、自分はあったのかな。
(続く👻)