いじり、
冷やかし、
からかい。
それらをする側は、何故か罪悪感を持ちづらい。
真顔で「止めてよ✋」と言われて初めて、少し焦って「そんなマジにならなくても~、ちょっとからかっただけじゃーん」と、取り繕う。しかも、[あれくらいで怒るなんて小せーな]と、自分を正当化する。
「だって自分は同じ様な事を言われても、何っとも思わない」
それ、それですよ❗人それぞれ受け取り方が違うから。
からかわれた方は〈いじめに遭った〉という認識。追い込まれ、自殺しました。
からかった方は〈いじめはしていない〉という認識。いくら聞き取りされても調査されても訴えられても、からかったのは確かでも、人を死に追い込むまでの事はどう考えてもしていない、と嘘偽り無く思っている。
双方が納得出来る最終地点を、見つけるのは難しい。
私も〈からかう側〉、〈からかわれる側〉どちらも経験しているので、複雑です。
〈からかう側〉の最たるものは〔懺悔〕の回で書きました、後輩に対してです。その時は「からかっただけ」という感覚、かなり時が経って考えてみれば、〈いじめ〉です。
その他のからかいは、数限りなく。
〈からかわれる側〉は、人前で顔が真っ赤😳になる様なからかいを受けた事もありますし、気にしている事をしきりにつつかれたり。
でも多かれ少なかれ、皆あるでしょうね。
人間だから。
でも熟女になるまで生きてしまうと、やはり、自分は許されない事をしたのだと、今になって思います。
その時気付けばいいのに。
気付かねーんだよ、人間は。
人間って何だ🚶❔👻❔